過去記事『ジョンソン社のスピンキャスティングリール その3』
ジョンソンのモデル100センチュリーが発売されたことで、スピンキャスティングリール(ゼブコ社のモデル33、その他のフォロアーも含んでおきます)はそれまでアメリカの『アウトドア・レクリエーション』の中で最も敷居が高かった『フィッシング』というレジャーに、革命を巻き起こします。
1955年頃まで、フィッシングは一部のごく限られた者だけが楽しむものだったのです。
今まで釣りなんかやったことがないような、お父さんも、お母さんも、坊ちゃんも、お嬢ちゃんも、すぐにキャスティングができて釣りに集中できる道具など、それまで存在すらしていなかったのですから当然です。
スピンキャスティングリールこそが、フィッシングを一般の人々に解放した、最大の功労者だったのです。
それまでのフィッシングといえば、食料調達がメインで狩猟本能も充足させられるひそやかな趣味というイメージが強いものでしたが、アウトドアブームに乗って新たに加わった『フィッシング』というレジャーは、多くのファミリーにすんなりと受け入れられました。
プリンセスという名のセンチュリーの女性専用特別モデルが登場した背景には、アウトドアレジャー(フィッシング)にお母さんや、お嬢ちゃんを引っ張り出すための特効薬だったわけです。
センチュリーは、こういった理由で売れに売れまくったのですが、ロイド.E.ジョンソン氏の考えは、もっと斜め上を目指しており、要するに、センチュリー以上の高機能モデルの開発とリリースにあったようです。
【Model No.110 CITATION】
センチュリーの糸巻き量増加&ヘビーライン(センチュリーに比べて)対応モデルとして開発。
同時に大口径ローターを採用したことにより、高速巻き取りを可能にした、センチュリーの上位モデル。
ただし、基本設計はセンチュリーと同じのため、糸縒れと釣力不足、ドラグ力不足は改善されていない。
【Model No.120 CENTENNIAL】
釣力不足対策として、ダイレクトドライブとなったモデル。
競合他社モデルの低コストに対抗する思惑が見受けられ、ベルカバーは樹脂となった。
同時に、ソルトウォーター対応を謳うようになり、後に防錆塗装を施した“122 GULL”も発売された。
【Model No.130 SABRA/Model No.710(SEVEN-TEN)】
後のジョンソン社のほぼ全てのスピンキャスティングリールの設計の元となった記念碑的モデルであり、同社のフラッグシップとなるモデル。
ハンドル正回転でダイレクトドライブ、ハンドル逆回転でドラグ操作という「パワーシフトハンドル」機構により、スピンキャスティングリールの構造上の欠陥であった糸縒れを防ぎ、強靭なギア機構と相まって釣力不足を解消し、ベイトキャスティングリールに匹敵する巻き取り力をも有していた。
130 SABRAは、マイナーチェンジの130Aでオシュレーション機構を初搭載する。(710はオシュレーション機構なし)
【Model No.140 LAKER】
競合他社の低コストモデルに対抗するために開発された、所謂ボーイズ仕様ともいうべき廉価モデル。
初のマルチピックアップローターを採用し、後の香港工場で生産される廉価モデルの礎となった。(140はU.S.A.モデル)
マイナーチェンジの140Bではピックアップピン仕様となる。
ラジオダイヤルドラグと呼ばれる、サイドカバー左横にドラグダイヤルを配置しているのが特徴。
【Model No.150 COMMANDER】
710にアキュキャストと呼ばれる、サミング機構をローターナットとベルカバーに搭載したモデル。
1970年代からの新型モデル(160、155、165、170)にはこの機構は搭載された。
【Model No.160 Guide】
「デュアルドラグ」と名付けられたダブルドラグ機構を搭載した130B SA'BRAの後継モデル
【Model No.155 Guide】
「デュアルドラグ」を搭載した710Bの後継モデルだが、このモデルからデザインを一新し、サーフェスデザインとなった
【Model No.165 Guide】
160 GUIDEのサーフェスデザインモデル
【Model No.170 Seville】
165 GUIDEの後継モデルで、ジョンソン社のリールで初めてラバーバンパーを搭載したモデル。
名実共にジョンソン社の最高傑作リールであると、アメリカのジョンソンリールのマニアも評している
1年だけのラインナップで現存するリールも非常に少なく、最も入手困難なリールの一つ
1979年が、ジョンソン社の製品、および技術面での頂点を極めた年となりました。
『130B SABRA』は『131 Sabra』と名称変更し、それまでのグリーンメタリックのベルカバーと決別し、装いも新たに登場。
同時に『710B』も『710C』と名称変更し、『131 Sabra』と同様のデザインで登場。
この2機種はベルカバー、ボディー共にマットブラックに塗装され、鮮やかなライトブルーに印刷されたメタルテープがベルカバーに貼り付けられた、斬新なカラーデザインとなります。
そして、フラッグシップには『170 Seville』と『155A Guide』の2機種。
こちらもベルカバーとボディーがマットブラックに塗装されましたが、鮮やかなオレンジが印刷されたメタルテープがベルカバーに貼り付けられました。
あらゆるスピンキャスティングリールを触ってきた自分にとっても、『170 Seville』こそが、究極の傑作リールだと思います。
1980年になると、『170 Seville』は『435 Strike』に、『155A Guide』は『415 Strike』にモデルチェンジしますが、『435 Strike』、『415 Strike』共にアキュキャスト機構が廃止されます。
また、『131 Sabra』、『710C』も、それぞれ『315 FORCE』、『335 FORCE』にモデルチェンジし、こちらはメインギア素材がパーマロイから別の素材にグレードダウンされ、『131 Sabra』の前期モデルには確かに存在したスプールオシュレーション機構が、『131 Sabra』の後期モデルと『335 FORCE』には廃止されてしまいます。
ここから先の迷走、凋落ぶりは、ジョンソンリールのファンなら目をそむけたくなるものです。
1982年に発表されたニューモデルからは、ついにラインオリフィスが大口径化し、サイズも大型化していくという、同社らしからぬ改悪されたデザインに切り替わっていきます。
ここまでくると勝負あった感があり、1986年には製品ラインナップもシュリンクし始めていきます。
後に1990年代にはベイトキャスティングリールにパッと見みえる『ジャベリン』等の変わり種も出てはきますが、創業40周年、45周年復刻のセンチュリー以外は全て中国生産に切り替わり、品質や設計の秀逸さとオリジナリティーに溢れていたジョンソン社のリールは、ロゴマーク以外にかつての面影は微塵も感じられなくなってしまいました。
もはや、ブランド名だけのまったく別のメーカーの製品です。
創業者のロイド.E.ジョンソン氏は1970年に逝去されましたが、この現状を知ったらどんなに悲しむことやら・・・。
1979年、それまで頑なに守ってきたグリーンメタリックのイメージカラーを捨て去り、ポップで新しいデザインの製品に一新した本当の理由。
それは、古参社員たちが手掛けることの出来た最後の仕事だったからではないでしょうか?
1979年は、『100B センチュリー』、『110B サイテーション』が発売された最後の年でもありました。
1980年からの製品クオリティー低下の兆し、1981年以降は毎年のように廉価仕様へのモデルチェンジが繰り返された事実と照らし合わせると、この仮説のつじつまも合うような気がします。
現在、独自にスピンキャストを企画設計している意欲的なメーカーは、同社のライバルであったゼブコ社だけです。
1955年頃まで、フィッシングは一部のごく限られた者だけが楽しむものだったのです。
今まで釣りなんかやったことがないような、お父さんも、お母さんも、坊ちゃんも、お嬢ちゃんも、すぐにキャスティングができて釣りに集中できる道具など、それまで存在すらしていなかったのですから当然です。
スピンキャスティングリールこそが、フィッシングを一般の人々に解放した、最大の功労者だったのです。
それまでのフィッシングといえば、食料調達がメインで狩猟本能も充足させられるひそやかな趣味というイメージが強いものでしたが、アウトドアブームに乗って新たに加わった『フィッシング』というレジャーは、多くのファミリーにすんなりと受け入れられました。
プリンセスという名のセンチュリーの女性専用特別モデルが登場した背景には、アウトドアレジャー(フィッシング)にお母さんや、お嬢ちゃんを引っ張り出すための特効薬だったわけです。
センチュリーは、こういった理由で売れに売れまくったのですが、ロイド.E.ジョンソン氏の考えは、もっと斜め上を目指しており、要するに、センチュリー以上の高機能モデルの開発とリリースにあったようです。
【Model No.110 CITATION】
センチュリーの糸巻き量増加&ヘビーライン(センチュリーに比べて)対応モデルとして開発。
同時に大口径ローターを採用したことにより、高速巻き取りを可能にした、センチュリーの上位モデル。
ただし、基本設計はセンチュリーと同じのため、糸縒れと釣力不足、ドラグ力不足は改善されていない。
【Model No.120 CENTENNIAL】
釣力不足対策として、ダイレクトドライブとなったモデル。
競合他社モデルの低コストに対抗する思惑が見受けられ、ベルカバーは樹脂となった。
同時に、ソルトウォーター対応を謳うようになり、後に防錆塗装を施した“122 GULL”も発売された。
【Model No.130 SABRA/Model No.710(SEVEN-TEN)】
後のジョンソン社のほぼ全てのスピンキャスティングリールの設計の元となった記念碑的モデルであり、同社のフラッグシップとなるモデル。
ハンドル正回転でダイレクトドライブ、ハンドル逆回転でドラグ操作という「パワーシフトハンドル」機構により、スピンキャスティングリールの構造上の欠陥であった糸縒れを防ぎ、強靭なギア機構と相まって釣力不足を解消し、ベイトキャスティングリールに匹敵する巻き取り力をも有していた。
130 SABRAは、マイナーチェンジの130Aでオシュレーション機構を初搭載する。(710はオシュレーション機構なし)
【Model No.140 LAKER】
競合他社の低コストモデルに対抗するために開発された、所謂ボーイズ仕様ともいうべき廉価モデル。
初のマルチピックアップローターを採用し、後の香港工場で生産される廉価モデルの礎となった。(140はU.S.A.モデル)
マイナーチェンジの140Bではピックアップピン仕様となる。
ラジオダイヤルドラグと呼ばれる、サイドカバー左横にドラグダイヤルを配置しているのが特徴。
【Model No.150 COMMANDER】
710にアキュキャストと呼ばれる、サミング機構をローターナットとベルカバーに搭載したモデル。
1970年代からの新型モデル(160、155、165、170)にはこの機構は搭載された。
【Model No.160 Guide】
「デュアルドラグ」と名付けられたダブルドラグ機構を搭載した130B SA'BRAの後継モデル
【Model No.155 Guide】
「デュアルドラグ」を搭載した710Bの後継モデルだが、このモデルからデザインを一新し、サーフェスデザインとなった
【Model No.165 Guide】
160 GUIDEのサーフェスデザインモデル
【Model No.170 Seville】
165 GUIDEの後継モデルで、ジョンソン社のリールで初めてラバーバンパーを搭載したモデル。
名実共にジョンソン社の最高傑作リールであると、アメリカのジョンソンリールのマニアも評している
1年だけのラインナップで現存するリールも非常に少なく、最も入手困難なリールの一つ
1979年が、ジョンソン社の製品、および技術面での頂点を極めた年となりました。
『130B SABRA』は『131 Sabra』と名称変更し、それまでのグリーンメタリックのベルカバーと決別し、装いも新たに登場。
同時に『710B』も『710C』と名称変更し、『131 Sabra』と同様のデザインで登場。
この2機種はベルカバー、ボディー共にマットブラックに塗装され、鮮やかなライトブルーに印刷されたメタルテープがベルカバーに貼り付けられた、斬新なカラーデザインとなります。
そして、フラッグシップには『170 Seville』と『155A Guide』の2機種。
こちらもベルカバーとボディーがマットブラックに塗装されましたが、鮮やかなオレンジが印刷されたメタルテープがベルカバーに貼り付けられました。
あらゆるスピンキャスティングリールを触ってきた自分にとっても、『170 Seville』こそが、究極の傑作リールだと思います。
1980年になると、『170 Seville』は『435 Strike』に、『155A Guide』は『415 Strike』にモデルチェンジしますが、『435 Strike』、『415 Strike』共にアキュキャスト機構が廃止されます。
また、『131 Sabra』、『710C』も、それぞれ『315 FORCE』、『335 FORCE』にモデルチェンジし、こちらはメインギア素材がパーマロイから別の素材にグレードダウンされ、『131 Sabra』の前期モデルには確かに存在したスプールオシュレーション機構が、『131 Sabra』の後期モデルと『335 FORCE』には廃止されてしまいます。
ここから先の迷走、凋落ぶりは、ジョンソンリールのファンなら目をそむけたくなるものです。
1982年に発表されたニューモデルからは、ついにラインオリフィスが大口径化し、サイズも大型化していくという、同社らしからぬ改悪されたデザインに切り替わっていきます。
ここまでくると勝負あった感があり、1986年には製品ラインナップもシュリンクし始めていきます。
後に1990年代にはベイトキャスティングリールにパッと見みえる『ジャベリン』等の変わり種も出てはきますが、創業40周年、45周年復刻のセンチュリー以外は全て中国生産に切り替わり、品質や設計の秀逸さとオリジナリティーに溢れていたジョンソン社のリールは、ロゴマーク以外にかつての面影は微塵も感じられなくなってしまいました。
もはや、ブランド名だけのまったく別のメーカーの製品です。
創業者のロイド.E.ジョンソン氏は1970年に逝去されましたが、この現状を知ったらどんなに悲しむことやら・・・。
1979年、それまで頑なに守ってきたグリーンメタリックのイメージカラーを捨て去り、ポップで新しいデザインの製品に一新した本当の理由。
それは、古参社員たちが手掛けることの出来た最後の仕事だったからではないでしょうか?
1979年は、『100B センチュリー』、『110B サイテーション』が発売された最後の年でもありました。
1980年からの製品クオリティー低下の兆し、1981年以降は毎年のように廉価仕様へのモデルチェンジが繰り返された事実と照らし合わせると、この仮説のつじつまも合うような気がします。
現在、独自にスピンキャストを企画設計している意欲的なメーカーは、同社のライバルであったゼブコ社だけです。
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