ダイヤモンドリールの黄金時代
ダイヤモンドリールに惚れ込み、最新鋭モデルには目もくれず、今もなお大切に愛用し続けているアングラー達は思っていたよりも大勢いるようだ。
理由はよく分かる。
今時のハイエンドリールが逆立ちしても決して到達できない、一生使えるであろう耐久性.、実釣現場からのフィードバックにより磨きあげられた確かな設計技術と工作技術、高い信頼性、そして軽やかな使用感。
自社製品における進化の系譜と、それぞれの製品の持つ魅力があるからこそ、現在もベテランユーザーから熱烈に支持され続けているのだと思う。
特に、1974年に新製品として発表された『MICRO7(マイクロセブン)』No.1/2/3/4/5は、同社の持つ高い設計工作技術をもって、シェークスピア社を筆頭に海外のリールメーカーから高く評価され、スピニングリール専業メーカーとしての信頼を獲得したという。
そこで称えられたのは主にドラグ性能の秀逸さだったが、自社で開発したヘリカルギヤーとスパーギヤー(大森ではスーパーギヤー)をオフセットで組み合わせた『ミックスギヤー』の秀逸さこそ、会社自体(大森製作所→O.M.R)が消滅した後も、ダイヤモンドリールの名が後世に語り継がれる最大の理由だと思う。
これより以前の1966年から超小型製品としてインスプールタイプの『DX MICRO7』が存在しており、このリールはNo.1サイズのみであったが、糸巻き量増加型の『DX730』とともに、ミックスギヤーを採用した名機中の名機として、ルアーフィッシングの世界だけにとどまらず、あらゆる小物釣りの世界でその名を轟かせていた。
1975年はダイヤモンドリールにとって新たなページを刻む年だったことは容易に想像がつく。
自社の最新モデルである『MICRO7』全6機種のラインナップがすべて揃い、普及モデルの『TACKLE5』シリーズ、インスプール型の新製品『MICRO7-No.201』をラインナップに加え、1974年までに存在していた旧モデルは『DX MICRO7』と『DX730』のみとなった。
インスプール初の左右両用機 後に出るマイクロ二世は 左巻き用と右巻き用とに別れ 良い意味で先祖返りをした |
ここからはダイヤモンドリールの黄金期に相応しいラインナップとなっていく。
1976年には『Mark』シリーズの後継機であるウォームホイルとウォームギヤー構造の『PRO・LINE-No.101/No.1』、『DX MICRO7』の後継機である『MICRO-二世No.301』が追加。
1977年には中型の『PRO・LINE-No.3』が追加。
1978年には『AUTOBAIL MINI/No.1/No.3』、インスプール版の『MICRO7VS』が追加される。
1979年には『TACKLE5』の後継機として『NEW TACKLE』が、そして『TACKLE AUTO』シリーズ、そのインスプール版の『COMET』シリーズ、ウォームホイルとウォームギヤーを搭載した同社最期のアウトスプールモデル『SUPER7』シリーズが登場。
この後、1980年には同社を一躍有名にすることとなる『MICON』シリーズが登場するのだが、個人的には1975年から1979年までをダイヤモンドリールの黄金時代としたい。
最小モデルの『MICRO7VS』、『MICRO7-No.201』、『PRO・LINE-No.101』、『TACKLE・AUTO-SS/No.1』、『NEW TACKLE-No.1』、『COMET-GS/G1』、『SUPER7-No.2』等、かつての愛機を含め、この時代のモデルを偏愛してきたからこそ、1980年代のモデルにはあまり惹かれないのである。
実際に、リアドラグ(スターンドラグ)の『マイコン』は、部品点数が増えて一回り大きくなっていたし、デザイン的に何となく『もっさり』した感じで、決して格好良いものではなかったと思う。
最高に格好良かったのは、『スーパーセブン』の方だ。
真っ黒なマットブラック塗装に金のエンブレム、スピニングリールにおける造形美の塊のようなその姿に魅了された。『ショーケースにあるこのリールを自分が使う頃には、どんな風に成長しているのだろう?』と、ませた想像を膨らませていた10代の頃。
その夢を果たさぬまま、中学、高校へと進学するうちにルアーのことも、リールのことも記憶の彼方に追いやってしまっていた。
釣りに復帰したのは1991年のこと。
交通事故でバイクに乗れない期間だけ、約7年ぶりにルアーフィッシングをやってみたくなって、さまざまな場所へ車で通うようになった。
タックルは当時のまま、ロッドはダイワ精工の『ロイヤルキャスト55L』にリールは同社の『スプリンターST900P』、どこのメーカーなものかも思い出せない色付きの投げ釣り用の5号ナイロンライン。
ハンドルを捲く度にけたたましく鳴り響く『スプリンターST900P』のクリック音に辟易としながら、リハビリ同然で1985年頃までに買っていたルアーを投げる。
ルブレックス『セルタ』、ダーデブル、ヘドン『クレイジークローラー』、『ラッキー13』、『スーパーソニック』、『ザラスプーク』、『ビッグバド』、『リバーラント』、ラパラ『F9G』、『J7S』、ガルシアフロッグ・・・。
結構頑張って買い集めた方だと思う。
5.5ftのグラスロッドもそうだが、リールがいただけない。
ライントラブルが多すぎる。
操作感が悪い。
家から近かった朝霞ガーデンで色々やり始めると、より快適なタックルが欲しくなっていた。
1993年頃、朝霞ガーデンからほど近い志木市には大学時代の友人が住んでいて、暇さえあれば転がり込んでいたのだが、町の川向こうに倉庫のような佇まいの古びた釣具店があった。
店内を物色していると、まるで自分が現れるのを待っていたかの如く、埃まみれの往年のダイヤモンドリールたちが無造作に棚に積み上げられており、興奮しながらそれらの中から一つ一つ選び出した。
①タックルオートSS 、②オートベールMINI、③コメットGS、④コメットG1、⑤キャリアNo.1、⑥キャリアNo.2、⑦プロラインNo.101。
期待していた『スーパーセブン』こそなかったものの、インスプールの『コメットGS』は掘り出し物で、それからの十数年間、朝霞ガーデンでの釣行も大会もこれで楽しんだものだ。
ダイワのエリアフィッシングブランドの『プレッソ』が世に出始めた頃までか?
『オートベール・ミニ』はサイズ感は良かったけれども、使用していたナイロンラインとの相性が悪く、キャスティング時のライントラブルが非常に多かったため、すぐに手放した。
俄然活躍したのは『タックルオートSS』だった。(細糸を使う管釣りにはSSが良いが、それ以外ならばNo.1の方が使い勝手は良い)
もっばら『タックルオートSS』と『コメットGS』がメインリールだった。
勿論、途中で浮気もしてオリムピック復刻版の『カーディナル33/44』も買ってみたけれど、操作感が大雑把すぎてすぐに手放した。
それからはマミヤOPの『オースターSS-600』、『エイペックス700』、『メガキャストMX-700』に『リベロ700』、『デュロ800』とマミヤOP製のスピニングリールも使ったのだが、何となくダイヤモンドリールと共通する使用感があって不思議に思っていた。
後にマミヤOPのリール開発関係者に訊いてみたところ、やはり大森製作所の技術は入っていたことを知り、嬉しく思ったものだ。
2000年代に入り、インターネットオークションや中古釣具店の登場により、それまで地方の釣具屋を巡って売れ残りを発掘するしか入手方法のなかったダイヤモンドリールが、楽に手に入れられるようになった。
憧れだった『マイクロセブンVS』はその頃入手したもので、マイクロスプーンに於いては『コメットGS』以上の最良のリトリーブスピードを手に入れ、管釣りの大会でも思うような釣りができるようになったと思う。
『プロ・ラインNo.101』は管理釣り場ではやや大柄で、渓流で使うべきリールの筆頭だったが、使用感は最高だった。1970年代のモデルの中では異質なリールに見えるが、1960年代のMARKシリーズの後継モデルなので、外観がクラシカルなのは仕方がない。このリール以上の使用感(リールを伝ってくるルアーの抵抗感の変化がダイレクトに感じられる)を持つリールには未だ出会ったことがない。
樹脂製のキャリア『No.1』と『No.2』は、それぞれバス用と陸っぱりからのシーバス用として非常に重宝した。
冬でも冷たくならないリールは、本当にありがたかった。合金製鋳造リールが冷たすぎて釣りに集中できなくなることは、多くのアングラーが経験していることだろう。
そんなこんなで『マイコン』シリーズを除く、『アップフィット』や『ターボ』、最高級機種の『ダイヤモンドキング』までを手に入れて、実際に使ってみたのだが、2000年ごろの自分には、末期のダイヤモンドリールの良さを少しも理解することができなかった。
時間軸もシリーズもバラバラで、当時は手元にある資料ではほとんどが1979〜1980年ごろのラインナップで、『キャリア』シリーズが比較的新しいものだとわかったのは随分後になってからだった。ツネキチリグで有名だった村上晴彦氏があらゆるメディアで、散々キャリアSSを褒めちぎっていたにも関わらず。
先日、失われていたピースをついに手に入れて、この時代のダイヤモンドリールの系譜について、明確に理解できるようになった。
ことの始まりは、やはり『DXマイクロセブン』からだった。
インスプールの超小型機としてリリースされた『DXマイクロセブン』は、当初はキャメルゴールドメタリックの右手巻きと左手巻き、すぐにブラックグリーンメタリックの渋い塗装に切り替わる。
ねじ込み式のハンドルではあったが、コンパクトには畳めない。
これの糸巻き量増加型が『マイクロセブン730』だ。
いったんこのシリーズはここまでとなり、1974年にアウトスプールのフラッグシップモデル『マイクロセブン』シリーズが登場する。
特徴は、貫通式のハンドルにより、右巻きから左巻きに交換できるようになったこと。
交換用のネジは、カウンターバランスドハンドルのカウンター側に収納されており、無駄のない設計。
ただし、これまでのような右手巻き専用設計のようにベールアームの動作が逆の回転方向になるような手の込んだ設計ではない。
現在もこの流れのまま、左手巻きのローター回転で右巻きのユーザーは対応をさせられている現状だ。
マイクロセブンシリーズの廉価普及版として、『タックル5』が登場。
ベアリングをブッシングに変更した程度で外観上の差異はほとんどない。
そして、姉妹モデルとしてインスプール式の『マイクロセブンNo.201』も登場。
このNo.201は、マイクロ二世へのつなぎ的な存在であったようにも思える。
マイクロ二世が先祖返りするかのように左手捲き専用機と右手捲き専用機に分かれたのがその証拠だが、やはり右手巻きはローター回転方向が右回転(後ろから見て時計回りにローターが回転する)しなければならないと思う。
インスタントなハンドル付け替えでは、左利きのユーザーが使うとフェザーリングでラインが指の背を叩いてしまって本来のフェザーリングができないため、使い勝手がスポイルされてしまうからだ。
この判断は正しいのだが、これ以降の製品にベールアームの回転方向が右回転に専用設計された右手捲きリールは、1976年リリースのプロ・ラインNo.1/101/No.3と、マイクロ二世No.301以降には見ることが無くなった。
今後も発売されることはないと思われるのは、左投げ右巻きのアングラーも、結局のところ利き手でのフェザーリングなど行ってなどいないから、誰も困らないということだろうか?
反対の手を使えば不要だという話も聞くが、実際のところは当事者ではないので分からない。
1978年登場のオートベールシリーズで、アウトスプールタイプで初めてインサイドキック(内蹴り)方式が採用され、以降のダイヤモンドリールは1988年のTURBOシリーズ登場まで全機種がオートベール化された。
現在のリールの殆どがインサイドキックを採用していることからも、この設計は正しいものだったことがわかる。
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