過去記事『ジョンソン社のスピンキャスティングリール  その2』

 1955年12月、タングルフリーの発表から6年後、全く新しいコンセプトの新型リール、“Model No.100 CENTURY”がリリースされました。
縦方向に位置したスプールの側面からラインを放出した場合でも、糸撚れを防ぐことができなかったこと、ギアの組み合わせで1:1以上のスピードでワインディングカップ(ローター)を回すことができるマルチプライヤー機構の採用により(Model No.10、10A、20、20A、22まではギアの介在しないシングルアクションであったため、ハンドル一回転あたりの巻き取り量を確保する目的で大口径ローターを採用していた)サイドワインダー形状にこだわり続ける主たる理由が失われたこと、競合他社による類似コンセプト商品のリリース乱立によって、自社のサイドワインダー・タイプの製造に見切りをつけたこと、上下左右いかなる使用用途も問わないマルチユースの斬新な新設計と、その特許申請のメドがついたこと、これらの要因により、“Model.80”をサイドワインダータイプの最終モデルとし、全く新しい設計思想のリールが誕生しました。

 “Model No.100 CENTURY”は、先行リリースされていたZebco社のノーバックラッシュ・リール群(STANDARD、Model.11、Model.22、Model.33)と外見こそ似てはいましたが、その設計思想や使い勝手はまるで異なり、発売当初から絶大な支持を得ることに成功しました。

 余談とはなりますが、1954年にリリースされたZebco社の“Model.33”は、発売直後から設計の不具合による故障や動作不良のクレームが殺到してメーカーによるリコールが掛かり、約1年もの期間を経て、樹脂製ローターから金属製ローターへの変更がなされて再リリースされたのが1955年末頃。
 それでもアンチリバース機構は搭載されず、1957年頃のシルバーカップにカラーチェンジされるまではアンチリバース機構がない設計で実用的だとは言い難いリールでした。
ここら辺の話しは結局のところ、設計者であるR.D.ハル氏が、発明家ではあっても釣り人ではなかった事に尽きるのかもしれません。
 余談はここまで。

 本題に戻りましょう。
 ここで、素晴らしい資料を皆さんに提示します。
ロイド.E.ジョンソン氏のお仕事風景の再現写真だと思われます。
 スポーツグッズのディーラー向けの広告っぽいですが、“Model No.100 CENTURY”のコンセプトを明確に訴求する素晴らしい広告です。
 ここにある文言こそが、ジョンソン社のリールの魅力のすべてなのですね。

『ロイド.E.ジョンソン-(ビジネス)パートナーであり、発明家であり、技術者であり、そして釣り人』

 自身が熱狂的な釣り人であったからこそ、子供やビギナーであってもすぐに使いこなすことが可能で、かつマルチユースが可能な究極リールを生み出せたのでしょう。

 何度見ても感心させられるのですが、リールのサイズが非常にコンパクトであること。
 子供でも扱えるギリギリの大きさです。
 しかも、フルメタルで高品質なハウジング、べベルギア、サイドカバー、ベルカバー、ローター、ピックアップピンなど、誕生から約60年を経過した現在でも、普通に使う事ができる圧倒的な耐久性。
 こんなリールが1955年に登場し、マイナーチェンジを繰り返しつつも1979年までの約25年間も同社のメインモデルとしてラインナップに存在し続けたこと。
 その後もモデルチェンジを繰り返し、現在もその名が(細々と)残っていることからも、まさに“CENTURY(世紀)”を超えたリールであったことは疑いようのない事実です。

 勿論、ジョンソン社だけでなく、他のフォロワーとなった数々のメーカー、ライバルであるZebco社のスピンキャストリールも、アメリカにおけるアウトドア・レジャーとしてのフィッシングを成功に導いた素晴らしき功労者たちですが、確実に言えることは、ロイド.E.ジョンソン氏が“Model No.100 CENTURY”を生み出すことがなければ、スピンキャスティングリールの歴史は、現在とは全く異なったものとなっていた筈です。

 いきなり完成形でリリースされた“Model No.100 CENTURY”ですが、この究極リールでさえ数々のマイナーチェンジを施し、更なる発展形のリールを生み出していっただけでなく、あらゆる問題点をも改善させたニューモデルを、ロイド.E.ジョンソン氏は次々と設計していくこととなります。

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