A.C.SHINERS アメリカ人ビルダーの生きる伝説(2023年10月14日更新)

 ミノープラグの元祖といえば、北欧フィンランドの『ラパラ』であることは疑いようのない事実だが、元々ルアー文化が根付いていたわけでもない、北欧フィンランドの辺境の地にこの特別なウォブラー(ルアー)が突如として誕生した理由は、貧困の中で生き抜くために生み出された漁具であったというくだりは有名だ。
 そもそも専業漁師ではなかったラウリ・ラパラ氏が、何故このルアーを作り出すことが出来たのか?
 詳細についてはここでは割愛するが、1962年8月に急逝したマリリン・モンローの追悼記年号で、唯一差し替えられることがなかったラパラの特集記事が発端となり、全米の釣具業界にラパラ・ショックが駆け巡ることとなる。
 それまでアメリカでは存在すらしていなかった細身で軽量の小魚を模したバルサ製ルアーは、スピニングタックル普及のお陰もあり、全米中で驚異的とも言える釣果をアングラー達にもたらしたそうだ。
 それまで似たようなルアーが一切存在していなかった、ルアー先進国アメリカ合衆国のルアーメーカー各社は、こぞって北欧からやってきたラパラに追従するフォロアーを次々に生み出していくこととなる。
 ヘドン社は『コブラ』を、プラドコ社のジョージ・ぺレン氏は新たにレベル社(日本ではレーベルと呼ばれる)を創業して『レベルミノーF10』を、ジム・バクリー氏もバグリー社を創業して『バングオー』を、スミスウィック社は『ログ』を、コットン・コーデル社は『レッドフィン』を市場投入する。(ボーマー社の『ロングA』は1970年代末期なのであえて除外)
 各社のフォロアー・ルアーは完全にラパラの影響を受けてはいたものの、それぞれが独自の解釈で自社のオリジナルルアーを設計・開発しており、それぞれがまるで似ていなかった。
 バグリー社は唯一効率化された手工業による製作だったが、他のメーカーの製品はあくまでもプラスチックで大量生産されるマスプロダクション品だった。(ヘドン社のコブラはウッド製だが品質の低さが目立つ。タイガーの方がヘドンらしくて良い)

 A.C.SHINERS社を1963年に創業することとなるアーサー・カール・シュルタイス氏は、1961年頃、噂のラパラ(ラパラショックよりも以前から、アングラー達の間で「ラパラという北欧の爆釣ルアーがアメリカでも手に入るらしい」という噂が広まっていた)を使ってみたいのに一向に手に入りそうもなかったので、仕方なく自分でミノープラグを作ることにしたのがルアー製作を始める切っ掛けだったそうだ。
 当然ラパラの製造手法などまったく分からなかったはずだが、独自の研究の結果、ラパラの性能を遥かに凌駕した、アメリカン・ハンドメイド・ミノープラグ、モデルナンバー『300』がファーストモデルとして誕生。
 メーカー名の「A. C.シャイナー(Action Certified Shiners.inc)」は、アクション認証シャイナーの略。
 これは各ルアーが個別に工房内の水槽でテストされ、最高のアクションを生み出すように調整されることに由来し、ハンドメイド・ルアーでありながら無調整でしっかり泳ぎ、しかも非常に良く釣れるルアーとしてコアなアングラーたちの間で高い評価を得て、その名は口コミで徐々に知られるようになる。
 A.C.シャイナーをシークレットルアーにしているバスプロや著名なアングラーは多く、特に有名なバスプロではハンク・パーカー氏やプロフェッサーとして名高いダグ・ハノン氏も絶大な信頼を置くミノープラグとして愛用していたそうだ。

 多くのバスプロが愛用し、その圧倒的な釣果から頑なに秘密にしてきた事実もあるが、日本でACシャイナーが知られるようになったのは、1997年4月に東京都目黒区碑文谷で開業した伝説的なプロショップ「THE TACKLE BOX」(2009年1月に一時閉店)の存在があったからだろう。
 今井店長に勧められるがままに購入し、実釣の場でACシャイナーの実力を思い知り、以来タックルボックスから外せない一軍ルアーとなった者は多いと思う。
 ACシャイナーを日本で布教したのは間違いなく店主である今井泰範氏であることは疑いようがない。
 自分も今井店長からA.C.シャイナーを紹介され、当時愛用していたラパラ『F9』よりも太くて大きい『450』の金黒を購入したのが最初の出会いだった。
 今井店長の解説を疑っていたわけではないが、それまでラパラ『F9』と共に歩んできた自身の釣果実績までは釣れないだろうと思っていた。
 しかし、使い始めた『450』の実力は、愛用してきたラパラ『F9』の釣果すら簡単に凌駕してしまう。
 (ラパラ『F9』と比べて)圧倒的なキャスタビリティー、ウォブンロールのピッチの速さが桁違いで、当り個体のラパラ『F9』をも凌ぐ明滅ロールをいとも簡単にやってのける。
 トラウトだろうが、バスだろうが、ブルーギルだろうが、フィッシュイーターがこの動きを嫌うはずなどない。
 3フッカーの『550』や、セダーウッドの『675』も勿論素晴らしかったのだが、使い慣れた『F9』サイズに最も近い『450』こそが、自分にはベストマッチだった。
 こんなにいいルアーを作るメーカーならと、バルサクランクベイトの『00』の金黒、銀黒も買い足し、やはり小気味良い魅惑的なアクションに魅了されてしまい、『00』は自身のシークレットルアーにまでなる有様。
 このメーカーのルアーには、そうさせるだけの魔力が確かに存在するのだ。


 海外に工場を作る気も、機械で大量生産する気も全くなく、これまで通り、一族総出で家内制手工業メーカーであり続けるA.C.SHINERSを、心から尊敬して止まない。
 A.C.SHINERSが伝説のルアーメーカーとなることは既に確定しているのだ。

※2023年10月3日 アーサー・カール・シュルタイズ氏は97歳で逝去されました。
 同時に、メーカーであるA.C.SHINERSも、創業者逝去により廃業しました。
 アーサー氏とA.C.SHINERSの全従業員の皆さま(ご家族)に、心からの感謝とともに、アーサー氏のご冥福をお祈りいたします。
(2023年10月14日 追記)

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