スピニングリールのよもやま話

  ダイヤモンドリールの話を書いて思い出したことは、1980年代後半から90年代にかけて、スピニングリールの製品づくりは非常に迷走していて、軽薄短小ローコストに突き進んでいくメインストリームと、相反するハイエンド・ニッチ路線の、両極端に分かれていたような気がする。

 その影響で、ダイヤモンドリールは消滅したようなものだし、オリムピック釣具も終焉に突き進んでいった感じだった。

 本格的に釣りに復帰したのは大学2~3年の頃だったが、10年弱のブランクで自分の認識していた釣具メーカーの勢力図が大きく変わっていたことには驚かされた。

 実際に1980年代のダイワ精工と島野工業の2社のシェア拡大は著しいものがあった。

 島野工業は関西の会社であり、テレビ番組(とびだせ釣り仲間)の影響は多少あれども、東京はやはりテレビアニメ『釣りキチ三平』のメインスポンサーであるダイワ精工が圧倒的に幅を利かせていたから、1970年代まで最大手だったオリムピック釣具のシェアが目に見えるほど下がっていくのは子供の目から見てもよく分かった。

 実際、ルアー関連のオリムピック釣具の魅力的な製品といえば、ベイトキャスティングリールの『BX-21/22』と廉価版の『マジロ』くらいしかなかったし、『マーキスボロン』は高すぎて絶対に手に届かないロッドだった。

 その上、スピニングリールに至ってはもはや勝負あった感じで、磯釣り用の大型リールや投げ釣り用はあってもルアー用として使えそうな丁度良いスピニングリールなど皆無に等しかった。

 よって、元々オリムピック派であるにもかかわらず、ファーストリールがダイワ精工のスピニングリール(スプリンターST-900)となった次第だ。

 こと釣具に関しては、昔(2000年頃まで)の10年と今現在の10年は、感覚的にも相当に違う。

 この5年は大きく様変わりしている感じはないのだが、2000年代までの時代は、毎年のようにテクノロジーの進化が大きかった。

 それが90年代、ダメ押しに近い形で急激に進化したのは、バスをはじめとする空前のルアー&フライブームのせいだったことは間違いないだろう。

 自分はその当時は湖のトラウトが専門だったが、ロッドもリールもすごい勢いで進化していったことをよく覚えている。

 スピニングリールに関しては、やはりシマノの『92ステラ』とダイワの『89トーナメントEX』は別格だった。

 それまでのスピニングリールとは明らかに一線を画す高性能と高価格帯に、使用しているだけでユーザーは一目置かれたのものだった。

 この前の『戯言』で書いたように、『古い機種を使用してあたかもベテランのようなフリをする心情』が到底理解できない理由がこれだ。

 ハイエンド機を手にすること自体が当たり前のことではなかったし、ビギナーや経験の少ないアングラーがハイエンド機を持つこと自体が許されない風潮が確かにあった。

 分をわきまえろ、ということだ。

 ハイエンド機を使っているのに下手くそなキャストなどしようものなら、その場にいるアングラー全員の嘲笑対象となるのは確実。

 釣れさえすれば偉いという訳ではない。

 所作が美しくなければダメなのだ。

 まあ、実際に上手い経験豊富なアングラーは、その所作も美しかったから、マネしたくなったし、マナーも素晴らしかった。

 バスブーム以降、マナーやモラルがこれ以上ないほどに低下したさえと言われる理由も、こういったお手本となるアングラーを知らない、傍若無人なビギナーが大量発生した弊害かもしれない。

 年齢マウントをするなど『以ての外』だが、年長者はスマートで格好よく、マナー良く、品の良いタックルと所作をビギナーに見せて、見本とならなければいけないと思う。(もはやそうするのが義務だとすら思う)

 かつてのダイヤモンドリールのパッケージには素晴らしい文言があったので、最後に紹介しておこう。

「たくさん釣るより、たのしく釣ろう」

 大事なことを、皆忘れてる。










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